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【都営大江戸線のなぜ?】

公開日公開日:2024.06.26

単一の地下鉄路線としては全長40.7Kmの日本で最も長い地下鉄「都営大江戸線」は、現在終点となっている光が丘駅から先、練馬区大泉学園町までの延伸計画、そして実現性は難しいと言われていますが埼玉県のJR東所沢駅までの延伸計画があり、更にその記録は伸びる可能性があります。

開業から暫く「12号線」と呼ばれていた大江戸線は、全線開通を前に一般公募で路線名を決めることになり、選考委員会は路線名を「東京環状線」に、愛称を「ゆめもぐら」に決めるはずでした。

ところが当時の知事の「何回まわっても同じ所に戻ってくるのが環状線」の一言により、一転「大江戸線」となりました。

確かに路線図上では一見環状線に見えるものの、実際は光が丘から都庁前を経由し、六本木、両国などを通って再び都庁前に戻るそのルートを6の字型に往復運転をしています。

「環状線」と聞くと、JR山手線やJR大阪環状線、名古屋市営地下鉄名城線など環状運転する路線のイメージが強いと思いますが、厳密には環状線と環状運転は異なり、中心から周辺に延びる放射線に対し、放射線を横につなぐ路線を環状線といい、首都圏の鉄道ではJR武蔵野線や東武野田線、JR両毛線などが挙げられます。

大江戸線が環状線であるのは間違い無いのですが、ではなぜ大江戸線は新宿駅で線路をつないで環状運転にしなかったのか?


それは、オイルショック(1973年)後の長引く不況まで遡る話になります。


東京都は大江戸線の建設費を抑えるため再度入念な検討を繰り返し、まず20m車両10両編成の「フル規格」を断念し車両を小型化、駅の規模とトンネル断面を縮小する事で費用を大幅に削減しました。

またリニア地下鉄を採用した事で、通常の鉄道よりも半径の小さなカーブや、急な勾配の走行可能によりルート選択の自由度が上がり、この特性を最大限に活かし採算性を確保する為、元々の計画ルート「芦花公園方面 - 方南町 – 新宿 - 春日町 - 厩橋 - 深川及び月島の各方面を経て麻布方面に至る路線」について再検討を繰り返し、飯田橋駅への接続や、汐留や六本木など大規模開発予定地の経由、都庁や公共施設へのアクセス性を高めた現在のルートに変更されました。

この過程において、新宿駅で線路をつないで環状運転することも検討されましたが、周辺の道路形状や道路幅、地形の制約から、費用面、技術面であまりにもハードルが高く、新宿駅で放射部の分岐、立体交差を行うためには地下7階も深くにトンネルを造らねばならず、建設費の節約が至上命題だった為、断念するしか無かったようです。

そして車両の小型化に伴い、JRや私鉄線と直通運転を行う東京の地下鉄車両が中間車1両あたり全長20mで定員約150人、全幅2850mm、全高4100mmが標準的なサイズであるのに対し、大江戸線の車両は全長16.5mで定員100人、全幅2490mm、全高3145mmと、幅で35cm、高さで1mも小さくなった事により、車内の頭上空間を保つ上での苦肉の策として、大江戸線の特徴的なYの字型の中吊りポスターが採用されました。

もし、当時の経済状況が違っていたとしたら、大江戸線の走行ルートや運行形態、車体の大きさ、中吊りポスターの掲出方法等々、様々な面で異なる仕様だったかもしれません。

とは言え、慢性的な赤字だった都営地下鉄の経常収支を開業から47年目の2006年度から黒字転換させた大江戸線は、このような時代背景による様々な見直しがあった事が功を奏した結果と言えるのではないでしょうか。


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