公開日:2021.12.22
過去のコラムでも都営地下鉄新宿線や大江戸線にふれましたが、今回は都営地下鉄つながりで三田線についてふれてみたいと思います。
現在の三田線は目黒駅から西高島平を結ぶ全27駅からなり、南は高級住宅が立ち並ぶ白金エリア、ビジネスの中心地である大手町や日比谷を経由し北は東洋一のマンモス団地とうたわれた高島平団地が建ち並ぶベットタウンエリアからなる東京都心部を南北に弓なりに結んでいる路線です。
先に述べた以外にも東京タワーの最寄り駅の芝公園駅、興業のメッカ東京ドームや遊園地の最寄り駅である水道橋駅、古本屋といえば神保町駅、多くの年配の方でにぎわう巣鴨駅などオススメスポットへのアクセスにも事欠きません。
その他にも大学をはじめとする学校も多く、通勤、通学、レジャー等々様々な層が利用する路線となっています。
そんな三田線ですが、現在の形になるまでには紆余曲折があったようです。
その歴史を簡単に振り返ってみます。
1968年12月27日に名称を都営6号線として1編成4両(現・6両)巣鴨駅から志村駅(現・高島平駅)間で開業しました。
その後順次延伸していき2000年9月26日に目黒までの全線開業となり同時に東急目黒線への相互直通運転が開始されます。
同年はトピックスが多く、路線の正式名称が三田線となり他線に先駆け全駅にホームゲート設置完了、ワンマン運転開始といった出来事もありました。
実はこの路線は当初の計画とはずいぶんと変更になっているようなんです。
特に相互直通運転に関して現在は東急目黒線との直通ですが、当初計画では東急線エリアは池上線を経由して田園都市線との接続となっており、高島平以北も東武東上線との直通運転計画の予定だったようです。
ところが開業前には東急側が三田線への乗り入れを中止する意向を示し計画は白紙撤回となり、開業後にはこれまた東武までもが三田線への乗り入れを中止し、その後開業される東京メトロ有楽町線への乗り入れに変更すると東京都交通局へ通知したようです。
結局両社の意向に押し切られる形で計画は白紙となった訳ですが、このような大規模計画が開業前後にあいついで中止とするには相当なパワーが必要じゃないかな、と想像できますが当時のパワーバランスや背景が気になりますね。
このように当初の計画は頓挫しましたが、紆余曲折のすえ2000年には東急目黒線への乗り入れが開始され現在にいたります。
今後に関しても計画が進んでおり、東急目黒線が2022年度に開業予定の東急新横浜線を経由し相鉄への相互直通運転が計画されている事にともない、三田線もそこに乗り入れる調整をしているようで(あくまでも調整中です!)近い将来都営~東急~相鉄の3社間乗り入れが実現するかもしれません。
その準備として2022年度より8両編成化が計画されているようです。これは通勤ラッシュが若干緩和されるでしょうから三田線利用者にとっては待望でしょうね。
さて、伸びゆく三田線の明るいニュースで締めてみましたが、三田線にも当然広告媒体があります。
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